2016 My Favorite Music
2016 Released Album
アニメ『マクロスΔ』に登場する戦術音楽ユニットワルキューレの1stアルバム。
家族が好きなのでマクロスシリーズの存在は知っていたものの、自分は今作が初見。
バラエティに富んだ質の高い楽曲がアニメ中にバンバン聴けて、ストーリーと音楽が相互関係にあるのが楽しい。
Track 2、10のOP、EDが素晴らしいのはもちろん、アニメに登場する頻度が低い楽曲も十分凝っているのでアルバムとして完成度が高い。
ハイペースにリリースを続けるスペインのIDM系レーベルAnalogical Force発のコンピ。
Kettelや、Wispの別名義Dwaallichtが参加している高クオリティ作品。
綺麗なメロディ、ファットな音作りが十分に堪能できる。
このレーベルの今後にも更に期待したい。
アシッドジャズがかかる寿司屋の息子 a.k.a Seihoの3作目のアルバム。
SoundCloudに小出しにされる楽曲を聴きながら個人的に結構待ちわびた作品。
ジャケやタイトルからも感じることができるが、ただ寄せ集めるだけではCollapse(崩壊)してしまうような音のテクスチャを用いてビートを組んでおり、そのセンスに圧倒される。
・『Traditional Synthesizer Music』- Venetian Snares
モジュラーシンセ仙人となったVenetian Snaresがリリースしたシンセ一発録音アルバム。
シンセで作られたありとあらゆる音がこれでもかと連打されるこの作品をTraditional Synthesizer Musicと名付けているのは笑ってしまう。
高速な楽曲はもちろん好きだが、Track10のShe Married a Chess Computer in the Endは曲名も含め印象に残った。
Dommuneでのリリースライブの様子を、サークルの夏合宿でみんなでお酒を飲みながら観た石野 卓球のアルバム。
1曲の中に緩急がたくさんある昨今の楽曲に対して、非常に落ち着きのあるしっとりとした作品。
Track6のDie Boten Vom Mondはその中でもスモーキーな楽曲になっていて、よく聴いた。
メンバーの脱退、加入があり"CY8ER"に名前を改めることになったBPM15Q
Yunomiが提供している楽曲のうち一番印象に残っているのがこのSingleに収録されている「はくちゅーむ」で、Future Bassを基盤にしたテンションの高いアイドル楽曲。
Pa's Lam SystemやYunomi、Snail's Houseに代表されるKawaii Future Bassのトラックを作り自ら歌うYUC'eのアルバム。
今挙げたアーティストの手法を徹底的に引用し、高クオリティな楽曲を作った上に歌っており、この手のサウンドの完成系かもしれないと感じる。
Track4の「POISON」はEDM TrapにKawaii要素が入っており、意外に新鮮で良い。
・『river(cloudy irony)』- Maison book girl
今年からアイドルへの楽曲提供を始めた自分が偶然ライブを観ることで知ったアイドルMaison book girlのメジャーデビューシングル。
変拍子のリズムが特徴的とよく言われており、試しに今聴きながら数えてみたらTrack1の「cloudy irony」はAメロでは7/8、サビでは4/4になっている。
ただ、個人的にはノスタルジックなメロディラインに惹かれた。
衣装のデザインやアイドルとしてのコンセプトも好み。
21年程生きてきて初めてCD屋でフラゲした作品となった宇多田ヒカルのアルバム。
それまでの作品と比較しグッと音数が減り、より彼女の歌声と詩にフォーカスされる。
アルバムを通して聴いてみると、山と谷が連なるように雰囲気の異なる楽曲が常に交互に配置されているのが印象的。
KOHHのファンでもあるのでtrack9「忘却」は個人的には堪らない楽曲。
・『TVアニメ「NEW GAME!」エンディングテーマ「Now Loading!!!!」 - EP』 - fourfolium
今日も1日頑張る青葉ちゃんが可愛いアニメ「NEW GAME!」のEDを収録したEP。
ゲーム会社で働く彼女たちの気持ちを描く歌詞は、美少女キャラだからこそ成り立つ。
Track1はASIAN KUNG-FU GENERATION、Track2は9mm Parabellum Bulletを引用しており、これらのバンドを高校時代に聴き、今となってはアニメにすがるしかないオタクたちの心の拠り所となる楽曲。
- 2016 Released Track
・「Stay(Hercelot Remix) - Onnanoko」
楽曲の中盤までの音と展開がとても美しい。更に後半のJuke/Footworkパートが始まる瞬間で泣かない人はいるだろうか、いやいないだろう(反語)。
・「scuffed white - Miii」
チョップされたボーカルサンプルが叙情的に楽曲を進め、最後にテンポチェンジする。なぜ、ボーカルサンプルをチョップするという極めて人間のぬくもりを感じないであろ技法が、これほどの叙情を生むのかが不思議である。
・「Love is Over (Prod. Mikeneko Homeless) (matra magic Remix)」- chelmico
ラップグループのchelmicoの楽曲をほとんど歌詞が聴き取れないレベルで分解し再構築したリミックス。ちょっと聴き取れる部分がかっこよい。
・「On The Sunny Side Up Street」- Minami Kitasono
KORGのアカウントにアップされている北園みなみの楽曲。異常に高い作曲スキルと最高峰のビンテージ機材が揃い、オタク歓喜。
・「FeelsleftOut」- Zekk
韓国のトラックメイカーZekkのキメキメFuture Bass。彼の作る楽曲はどれも好みであるが、特にこの曲は印象的だった。
・「SHOPPINGMALL」- tofubeats
tofubeatsがMVと共にアップしたこの楽曲。最初はリリックにかなり驚かされたが、何度か聴いてるうちに、彼が歌うべきリリックなんだなと腑に落ちた。
・「YAGIBUSHI 八木節 HENTAICAMERA wit FUMI H MIX」- HENTAI CAMERA MAN ♡
DJ Shitmatの来日公演でFa5H10N HeALTHが流しまくっており、終演後に名前を聞き出せたトラックメイカー、HENTAI CAMERA MAN♡。ジャンル名が何とかテックなのかどうかは詳しい人に任せておいて、ガンギマりな高速ベースラインとサンプリングでぶち上がる。
「Anagram [2016春M3] #commune310」- 909state
commune310シリーズに提供された909stateのこの楽曲、ファットな音を十分に堪能でき、かつモダンなボーカルサンプル捌きが聴けて印象的だった。
- 2015 Released
ベルリンのテクノアーティストEfdeminのアルバム。
気持ちのよいシンセサウンドが聴ける。
すごく今更ながら聴いたEnvyの2015年作アルバム。
良い意味で、このアルバムの後にボーカルが脱退したことが腑に落ちる。
デスメタルはたまに聴いているけど、結構アルバム単位で記憶にあるものは少ない。
Bolt Throwerのこのアルバムはハードコアなノリがある上に、やはりデスメタルだなと感じるリフと展開が多く印象に残る。
・『The Secrets of the Black Arts』- Dark Funeral
Dark Funeralのアルバムの中で一番メロディの雰囲気とギターの質感がしっくりきて、結構聴いた。
・『Outside of Melancholy』- fhána
テン年代のサウンドをベースにアニメソングを作られたら好きになってしまう。
Track6は結構IDMライクで印象に残る。
Kettelのノスタルジックなサウンドは自分の心に響く。
Track2「Shinjuku Inn」を聴きながら毎朝新宿を歩いていたことを思い出す。
更に磨きがかかったトラックに、1度聴いたら忘れらないリリック。
KOHHの作品はどれも、楽曲の質のみならずアルバム単位での完成度が高いと感じる。
楽しげな音が散りばめられているが極めて内向的なIDMサウンド。
Track8の「touch」を聴いていると別世界にいってしまいそうになる。
・『「ARIA The ANIMATION」オリジナルサウンドトラック』- Choro Club Feat. Senoo
実は今年一番頻繁に聴いたアルバム。
どの楽曲も素敵で、なぜ自分はネオ・ヴェネツィアに住んでいないのか考えてたら2016年が終わった。
2015年 印象的だったNYP、Free DL作品 ClubMusic編
1. piedolaboro "Takesu EP"
某作曲家の別名義と噂されるpiedolaboroの初音源
1曲目から坂本龍一の"DIABARAM"のブートレグから始まるこのEP
5曲全てが160で固定されているJuke/Footworkで通しで聴きたいと思える作品
3曲目、EPのタイトルにもなっている"Takesu"はその名の通り、チンドン屋が演奏する"竹に雀"をサンプリングしたもので、クールさと笑っちゃうような大胆なサンプル使いがさえる楽曲
2. matra magic "Synthetics EP"
TREKKIE TRAXよりリリースされたmatra magicのEP
Bandcamp、TREKKIE TRAXの公式サイトよりFree DL可
作品タイトルやジャケからもわかるようにmatra magicのシンセ捌きを堪能できる作品
複雑で洒落ているコード感も良し
3.Quarta 330 "Mokelembembe EP"
sabacan recordsよりリリースされたQuarta 330のEP
メロディ、ハーモニー、ビート構築、シンセの音色とどれを取っても個性的
限られたチープな音で構築された楽曲が、想像力やイマジネーションを刺激し、ノスタルジックな景色を思い起こさせる感じが非常に心地よい作品
飲み会の帰りに聴くと完全に最高◎
4. Laxenanchaos "I'm Laxenanchaos"
皆が2015年のベストリリースを発表していく中、まだ今年は終わってないぞとばかりに自らが始めたレーベル☯ anybody universe ☯より発表されたLaxenanchaosの作品
アトモスフェリックなシンセの中を流れるようにBreaksが通り過ぎるような感覚◎
ハードウェアを使用して作られた緻密さと大胆さが混在するもの
5. Masayoshi Iimori "Break It"
もはや説明不要、TREKKIE TRAXよりリリースされたMasayoshi IimoriのEP
Bandcamp、TREKKIE TRAXの公式サイトよりFree DL可
初めて聴いたTrap曲が"Break It"だった私ですが、全てが自分の想像の斜め上を行く楽曲に完全に打ちのめされる
今年1番聴いた作品の一つでもある
実を言うと、去年まで音楽をBandcampやSoundCloudでDigることもほとんどなかった人間だったので、今年は自分もネットを中心に活動ができ、音楽もDigることができたのが印象的でした。来年もよろしくお願い致します。
ピンボール
最近、ピンボールにハマっています。偶然、学校の帰り道に「ミカド」という古いゲーム機を多く扱うゲームセンターがあり、そこで一度遊んでみたことをきっかけに、ヘヴィなプレイヤーにはなっておりませんが、ピンボールを楽しみようになりました。ここで、私のブログ等を読んでいる方は、私が過去に一度、自分が如何にゲームセンターが苦手かを語っていることを記憶されている方もおられるかと思います。改めて説明すると、私は幼少期にゲームセンターでゲームに挑戦するも、機械がうまく作動せずにあっという間にゲームオーバーになってしまい、それ以来ゲームセンターに対する不信感が強く残っていたのです。しかし、そうは言うものの、実はあのメカメカしい筐体であったり、画面の華やかさに惹かれていたのも事実でした。好きと嫌いは紙一重といいますが、私はゲームセンターを強く意識していたのでしょう。自分の周りの比較的真面目な友人達がゲームセンターで頻繁に遊んでいるという事実が、私のゲームセンターに対する不信感を和らげ、結果的に先ほど述べた好奇心がそれを上回ったのです。ミカドでは入り口のすぐ横にピンボールの台が幾つか並んでいるのですが、ピンボールマシーンのインパクトたるや物凄いです。他にもゲーム筐体はたくさんあるのですが、縦に長い上に、多くの仕掛けが施してある盤面に私は釘付けになりました。
ここで、話は飛びますが、私の小学生の頃の友達に「きっちゃん」と呼ばれていた友達がいました。彼は、いわばクラスの人気者で、面白い遊びを考案したりと、クラスの流行を作り出せる子でした。そんな彼はゲームも得意でした。あまりゲームが得意でなかった私はもっぱら彼のプレイを見ているだけでしたが、プレイ中の彼の言動のうち、強烈に印象に残った言動が一つあります。彼は、シューティングゲームをする際、序盤でミスがあると、「人生、諦めが肝心!」と言い放ちゲームをすぐに始めからやり直すのです。今考えてみれば、ただ、使い古された言葉とナンセンスな行動を組み合わせているだけなのですが、私は強烈なインパクトを受けました。何より小学生のうちから、「人生」や「諦め」について考えられていることに当時の私は驚きました。改めて考えてみると、たとえ使い古された言葉でも、誰がどのタイミングで使うかによって言葉の意味というものは大きく変わりますし、音楽におけるサンプリングの手法にも同じことが言えるのですが、この辺の話は今回は割愛します。
小学生の私は、彼の「人生、諦めが肝心!」という言葉と、すぐにゲームをリセットする姿勢に感銘を受けたわけですが、そのインパクトがあまりに強く残っていたせいか、それからずっと、私はゲーム等で遊んでいても初めの方にミスがあるとすぐに諦めてしまったり、途中でやる気がなくなってしまいました。ピンボールをやり始めたときも同様で、すぐに1つ目ボールがアウトになると、あとのプレイは荒っぽくなってしまいました。
しかし、ある時、ピンボールの点数に伸び悩んでいた頃、もっと他に悩むべきことがあるだろうという指摘はさておき、このすぐに諦めてしまう傾向は良くないのではないかと考え始めました。試しに、強い心持ちで、初めの方に失敗しても諦めずに点数を稼ぎにいこうと気合を入れ直して、プレイしてみたら、なんと自己最高記録をマークすることができたのです。シューティングゲームとピンボールとでは、ゲームの性質が大きく異なるということもありますが、やはり何事も諦めてしまったらそこで終わってしまうということに私は気付きました。似たような例として、フィギュアスケートがあります。あの競技はもちろん、失敗を全くせずに演技をやりきることがベストなのですが、人間必ず失敗します。そんな中で、高得点を取れる選手というのは、途中で失敗してもめげずに最後までやり通せる選手ですよね。さらに、もう一つ例を挙げると、私がクラシックギターを習っていた頃、ギターの先生は口癖のように「たとえ練習の時でも、ミスをしても最後までやり通せ」と言っていました。ミスをするとすぐやり直してしまうことが癖になってしまうとのことでしたが、この話もピンボールの話とつながりますね。
話がだいぶ大きく膨らんでしまいましたが、私の言いたいことを簡潔にまとめると、「自分はピンボールを始めて、諦めないことの大切さに気づくことができた」ということです。どうでしょう、皆さん、この文章を読んでピンボールがやりたくなりましたよね。そうでもないですか。
COALTAR OF THE DEEPERS - "NO THANK YOU"
(この原稿は大学の音楽サークルであるMusic Innの新歓配布物に寄稿したものです。)
日本で活動している、オルタナティブロック・シューゲイザーバンド、COALTAR OF THE DEEPERS(以下COTD)の5枚目のフルアルバム。このアルバムは筆者が初めて買ったCOTDの作品であり、かつ、所謂シューゲイザーサウンドを初めて耳にした作品でもある。”シューゲイザー”とは、My Bloody Valentineを始めとするロックバンドにおけるノイジーで耽美的なサウンドスタイルを指す言葉であるが、ここでは説明を割愛させて頂く。筆者はこのアルバムを手にした日付を明確に覚えている。2011年3月10日。この日付にピンとくる方も多くいると思うが、説明しておくと、東日本大震災の前日である。
購入した当時、筆者は高校1年生であった。偶然、Youtubeで聴いたCOTDの”NO THANK YOU”という曲に魅了され、CDをディスクユニオン等の中古CD屋で探すも全く見当たらず、Amazonで調べてみると幾つかアルバムが購入可能であったので、”NO THANK YOU”を収録している当アルバムを購入した。Amazonで購入すると、大概翌日には家に届くわけであるが、PC画面上で何度かクリック操作を繰り返しただけで商品が手元に届くことに未だに慣れない。このあっけなさが奇妙に思え、なかなかネット通販を利用する気になれない筆者である。無事にCDは3月10日に手元に届き、さっそくリッピングして自分のiPodに入れた。翌日学校にいくまでの通学路で歩きながら聴きたいと思っていたので、その日はほとんど聴かなかった。2011年3月11日、当日は高校1年生最後の登校日であったのだが、美術の授業で提出する作品を家に置き忘れるという失態をおかし、学校が終わった後に、作品を家まで取りに帰った。家から学校までは都営の地下鉄を30分ほど乗ったところにあり、往復するのは面倒であったが、最後の登校日ということもあり、天気もよかったせいか全く苦に感じず、ちょうど前日に届いた当アルバムをiPodで聴きながら気持ちよく歩いていた。
春の心地良い風を体で感じながら聴いた当アルバムのサウンドは、まさに自分を異世界に誘うものであった。当時、ハードコアパンクに夢中になっていた筆者がこのアルバムを購入するきっかけは既に書いたとおり”NO THANK YOU”をYoutubeで聴いたことであるが、この曲はノイジーなギターと、取ってつけたようなシンセのリフが混在している曲であり、その攻撃的な側面に魅了された。しかし、いざアルバムを頭から聴いてみると、そのような攻撃性もさることながら、非常に内向的でノイジー、それでいて美しい音空間が広がる曲が多く、当時、神経質さがピークに達していた筆者は完全にその音空間に飲み込まれてしまった。アルバムをiPodで再生し、始まる1曲目”IT DAWNS BEFORE”は音像が強くぼかされたギターが蠢くイントロであり、シンプルな作りながら、曲を聴きながら浮かぶ景色が明るいものなのか、それとも暗いものなのか、その景色が永遠に遠くまで広がり続けているのか、それとも限りなく自分に近づいているのか、あるいはその両方なのか、まったくつかめないサウンドであり、アルバムの入り口としての役目を十分に果たしていた。続く2曲目”Good Morning”は軽快なテンポに、まるで幼い少年のような声でボーカルが甘く囁く日本語詞がのり、憂いと喜びが混在したノイジーなギターと、サウンド全体に深くかかっているリバーブに強く手を引かれ、高校生の筆者は完全に異世界を歩き始めていた。そこから8曲目”The systems made of greed (Don't bet our tax Version)”までテンポ良く進み、9曲目”HIBERNATE”で1度それまでのテンポを落ち着かせ、Ⅰ0曲目”The end of summer”を迎える。この”The end of summer”という曲はそれまでの曲とは打って変わり、ノイジーなギターとシンセサウンドに関しては変わらないが、ゆったりとしたテンポで進む曲であり、ある意味COTD流のバラードである。既に書いた通り、ボーカルの歌唱は非常に独特なものであり、全く歌い上げずに少年のような声で歌うスタイルであるが、このスローな曲とその歌唱法の相性は抜群である。もちろん他の曲にもあってはいるのだが、囁くような歌唱が最も良くあうのはやはりスローテンポな曲なのだ。筆者はこの曲を聴き、自分でも曲を作ってレコーディングをしたいと初めて強く思ったわけである。わかりやすいメロディがなく、全体の音空間が混沌としているものの、確かにキャッチーで切なさを感じるような音楽を作りたいと思うようになったのはこの時からだ。続く11曲目”NO THANK YOU”は始めに書いた通り、非常にアップテンポで攻撃的な曲である。誤解を恐れずに言えば、かなりノリにくいリズムの曲でもあり、各楽器それぞれが取ってつけたような演奏をしている。しかし、それでいて、ギリギリのバランスで成り立っているところが魅力的なところである。12曲目”Dreamman”は、アルバム前半にあったようなスピーディーなナンバーである。曲を通して、ずっとアコースティックギターをかき鳴らす音が聴こえ、その隙間を埋めるようにディストーションがかかったギターの音が聴こえてくる。ベースのサウンドも強烈に歪んでおり、ドラムの音像はかなり奥の方にあるため、スピーディーな曲とはいえ、いわゆる日本のギターロックとはまた大きく異なったサウンドであり新鮮である。13曲目”DEEPERS’RE SLEEPING”はまたテンポをぐっと落としたSE的な曲であり、続く14曲目”MEXICO(Ver.N)”はこれまでの音の洪水のような曲とは打って変わり、アコースティックギターとボーカルのみで構成された曲である。しかし、曲の根底に流れる雰囲気はこれまでの曲と同様であり、ノイジーな曲に混じってても違和感を感じさせない。そして15曲目”春の行人坂”は当アルバムの最終曲であるが、いままでのどの曲よりもやわらかなサウンドが聴ける曲である。一般的にアルバムの最後の曲は、いわば作品の出口の役目を果たすものであることが多いが、この曲”春の行人坂”は出口の役目どころか、また別の世界に誘うような曲であり、そのサウンドに魅了されてしまった筆者はこのアルバムに足を踏み入れて以来、この無限ループのような世界から抜け出せなくなってしまった。
ちょうどこのアルバムを地下鉄の中で聴いているときに、大震災は発生した。まるで寝ているところを叩き起こされるように突如電車はとまり強い揺れが起こる。揺れが収まった後、最寄りの駅まで電車は向かい、降りたその駅で深夜まで過ごすこととなった。駅は人であふれ、どうすればいいのか判断がつかないような状況が長く続いた。とりあえず電車が動くまで待たなくてはならなかったので地下鉄のホームの床に座り込み、iPodで引き続き当アルバムを聴いていたが、途中でiPodの電池は切れてしまった。ようやく電車が動き始めて、なんとか帰宅するも、テレビに映っている映像は地獄のような光景であった。
当アルバムを聴くと、そのときのイメージをこと細かく思い出すことができる。COTDのサウンドの不安定さ、そして、そんな中でも希望を見出そうとするも、絶望と常に隣り合わせなところは、当時のイメージと重なるところがある。しかし、それでいて、このアルバムを聴いても決してネガティブな気持ちになることはない。それは、筆者が震災によって直接大きな被害を受けてないからだという指摘もあるだろうが、それ以上にこのアルバムの力強さによるものだと筆者は思う。
柔らかい音楽
(2014年度、秋M3にて頒布したエッセイより)
今年に入ってから、大学に入学したり、音楽活動を本格的に始めたりと、自分の周りを取り巻く環境が大きく変わり、新鮮にいろいろなことに取り組むことができる反面、思い悩むことも多くなっています。悩み、考え込むことによって明確なアイディアが閃くことも稀にありますが、ほとんどの場合、自分の中の矛盾と向き合うことになってしまいます。そのように、矛盾に向き合うことで、相反する思想や感情というものが自分の内にかなり多く存在していることにも気づきました。例えばですが、自分の場合、「モンスターエナジードリンクは好き」という感情と「モンスターエナジードリンクは嫌い」という感情は常に両立しているのです。もちろんそのバランスはその時々によって違います。モンスターエナジーは美味しいのですが、量が多い為、最後の方になると飲んでいて苦しくなり、缶を捨てる頃にはもう二度と飲まないとさえ思うのですが、それでも僕はかなりの頻度でこのドリンクを飲んでいます。ドリンクを飲み始める前と飲み終えた後では、先ほど書いた二つの相反する感情のバランスが違うことは容易に想像できると思います。人間というのはなかなか割り切れないものです。
しかし、少なくとも自分は、自分がある種の一貫性を持っている人間であると他人に示したいという意識を持っているみたいです。例えば、自分はSNSに日々文章を投稿しているわけですが、投稿する文章にある種の一貫性を持たせようと、ついつい内容を管理しようとしてしまいます。本当はいろいろな矛盾を抱えてるのにも関わらず、まるで自分が確固たる思想を持つ人間であるかのように見せようと足掻いてしまうことがあります。このようなことを経験している人ならわかると思いますが、自分のイメージを管理しようとする行為は非常に疲れます。今回はSNSを例にあげましたが、自分は音楽においてもこのように、人の目を気にして、他人から見てある種の一貫性をもつように無理に整えようとしてしまうことが多少あると思います。そして、そのような音楽の作り方をするとどうしても、悪い意味での固い作品ができてしまうことに気づきました。このことに気づけたきっかけとなったのは柔軟な音楽との出会いでした。
今年、個人的に最もセンセーショナルだったのは日本語ラップと出会ったことでした。多くの音源を手に入れているわけではないのですが、個性的な表現方法をもつ魅力的なラッパーが多くいることに気づきました。日本語ラップに少しでも興味がある人なら名前を聞いたことがあるかと思いますが、ここ最近で最も注目されているラッパーの一人としてKOHHがあげられます。いくつかのミックステープや、YoutubeにあがっているPV、また、1stアルバムをリリースしていない状態でリリースされた2ndアルバムが話題になりましたが、彼が書くリリックや彼のラップはいわば柔軟な音楽であると感じました。
先に言ってしまうと彼の書くリリックは、僕が聴くかぎり、相反する内容を両方持ち合わせていると感じます。また、それだけでなくリリックと彼自身が矛盾していると感じます。ある曲ではひたすら金と女と洋服と名誉が欲しいとラップしているのに対して、ある曲ではそれらを全て否定していたりするのです。また、KOHH本人の写真をみればわかると思うのですが、彼はそうとうオシャレにこだわっています、しかし、2ndアルバムの1曲目のタイトルがなんと”Fuck Swag”なのです。”swag”とはアメリカのスラングで、日本語で言うところの「オシャレ」、「ヤバイ」などに該当する言葉であり、オシャレな彼がアルバムの出だしでいきなり”swag”を否定しているのです。そのような、彼のリリックの良い意味でのラフさや、彼が、リリックで綴っている内容と自身との矛盾をあえてさらけだしていることが僕にはとても新鮮なものとしてうつりました。矛盾ではなく、もはや自分に対してもメッセージを送っているようにも感じます。余談ですが、そんなラフなスタイルは高田純次の影響下にあると彼は言っています。
そんな、柔軟で、それゆえに独特の力をもった音楽との出会いを経験をしたのちに、改めて自分が作った音楽やいままでなんとなく固いなと感じてきた音楽を聴くと、やはり、無理やり作りあげた感じがすることに気づきました。なるほど、柔軟で何度も聴き続けてもらえる作品、あるいは柔軟な活動を行い続けるために重要なのは、自己矛盾をさらけだすことなのではないかと閃いたわけです。もちろん、これから人の目を全く気にせずに作品をアウトプットできるかと聞かれたら無理ですが、自己矛盾をさらけだした作品のほうが気を張って一貫性をもたせようとした作品より柔軟であると気づけたことは僕にとっては非常にセンセーショナルなことでした。
大麻
肯定
「人の目を気にするな」という言葉を僕は頻繁に耳にするのですが、その言葉を聞く度にモヤモヤとしたものが頭の中に残ります。もちろん、どのようなことを言いたいのかはある程度つかむことができるのですが、あまりにも極端な理想論に思えてしまうのです。なんだか、揚げ足取りのようですが、そもそも「人の目を気にしない」ことはできないと思います。多かれ少なかれ、僕らは他人と関わりあいながら生きており、無意識のうちに、人に見られているということを意識しています。考えてみると、例えば、僕らが着る服を選ぶとき、他人に見られる事を意識して選んでいますよね。
他人からどう見られるのかをすごく意識してしまうことは、僕はよくありますし、たぶん誰でもあると思います。自意識過剰な状態に陥ってしまうことは決して楽しいことではありませんし、苦しいことです。それに対して、「人の目を気にするな」という言葉は、そのような誰もが感じるような苦しさを無視し、否定し、まるで自分たち人間は確固たる独立した存在として生きていける、という理想論を表している気がします。
「ケガをしても痛がるな」という言葉とニュアンスが近いと感じるのです。
「人生とはこうあるべきだ」など、強い主張を持った音楽もあって良いと思うのですが、僕としては、自分が音楽を続ける上でのテーマとして、「ありのままを肯定する」というものがあります。もちろん、文章書く上でも同じです。
ありのままの自分を肯定する、あるいは、他人を認め、肯定するということはそれほど簡単なことではありません。しかし、音楽や映画、文学などの芸術はその手助けをしてくれるのです。そういう意味で、芸術は自分たちの「生活必需品」であると僕は強く感じるのです。