海辺の叙景

音楽の話などをします

柔らかい音楽

 (2014年度、秋M3にて頒布したエッセイより)

 今年に入ってから、大学に入学したり、音楽活動を本格的に始めたりと、自分の周りを取り巻く環境が大きく変わり、新鮮にいろいろなことに取り組むことができる反面、思い悩むことも多くなっています。悩み、考え込むことによって明確なアイディアが閃くことも稀にありますが、ほとんどの場合、自分の中の矛盾と向き合うことになってしまいます。そのように、矛盾に向き合うことで、相反する思想や感情というものが自分の内にかなり多く存在していることにも気づきました。例えばですが、自分の場合、「モンスターエナジードリンクは好き」という感情と「モンスターエナジードリンクは嫌い」という感情は常に両立しているのです。もちろんそのバランスはその時々によって違います。モンスターエナジーは美味しいのですが、量が多い為、最後の方になると飲んでいて苦しくなり、缶を捨てる頃にはもう二度と飲まないとさえ思うのですが、それでも僕はかなりの頻度でこのドリンクを飲んでいます。ドリンクを飲み始める前と飲み終えた後では、先ほど書いた二つの相反する感情のバランスが違うことは容易に想像できると思います。人間というのはなかなか割り切れないものです。

 しかし、少なくとも自分は、自分がある種の一貫性を持っている人間であると他人に示したいという意識を持っているみたいです。例えば、自分はSNSに日々文章を投稿しているわけですが、投稿する文章にある種の一貫性を持たせようと、ついつい内容を管理しようとしてしまいます。本当はいろいろな矛盾を抱えてるのにも関わらず、まるで自分が確固たる思想を持つ人間であるかのように見せようと足掻いてしまうことがあります。このようなことを経験している人ならわかると思いますが、自分のイメージを管理しようとする行為は非常に疲れます。今回はSNSを例にあげましたが、自分は音楽においてもこのように、人の目を気にして、他人から見てある種の一貫性をもつように無理に整えようとしてしまうことが多少あると思います。そして、そのような音楽の作り方をするとどうしても、悪い意味での固い作品ができてしまうことに気づきました。このことに気づけたきっかけとなったのは柔軟な音楽との出会いでした。

 今年、個人的に最もセンセーショナルだったのは日本語ラップと出会ったことでした。多くの音源を手に入れているわけではないのですが、個性的な表現方法をもつ魅力的なラッパーが多くいることに気づきました。日本語ラップに少しでも興味がある人なら名前を聞いたことがあるかと思いますが、ここ最近で最も注目されているラッパーの一人としてKOHHがあげられます。いくつかのミックステープや、YoutubeにあがっているPV、また、1stアルバムをリリースしていない状態でリリースされた2ndアルバムが話題になりましたが、彼が書くリリックや彼のラップはいわば柔軟な音楽であると感じました。 

 先に言ってしまうと彼の書くリリックは、僕が聴くかぎり、相反する内容を両方持ち合わせていると感じます。また、それだけでなくリリックと彼自身が矛盾していると感じます。ある曲ではひたすら金と女と洋服と名誉が欲しいとラップしているのに対して、ある曲ではそれらを全て否定していたりするのです。また、KOHH本人の写真をみればわかると思うのですが、彼はそうとうオシャレにこだわっています、しかし、2ndアルバムの1曲目のタイトルがなんと”Fuck Swag”なのです。”swag”とはアメリカのスラングで、日本語で言うところの「オシャレ」、「ヤバイ」などに該当する言葉であり、オシャレな彼がアルバムの出だしでいきなり”swag”を否定しているのです。そのような、彼のリリックの良い意味でのラフさや、彼が、リリックで綴っている内容と自身との矛盾をあえてさらけだしていることが僕にはとても新鮮なものとしてうつりました。矛盾ではなく、もはや自分に対してもメッセージを送っているようにも感じます。余談ですが、そんなラフなスタイルは高田純次の影響下にあると彼は言っています。

 そんな、柔軟で、それゆえに独特の力をもった音楽との出会いを経験をしたのちに、改めて自分が作った音楽やいままでなんとなく固いなと感じてきた音楽を聴くと、やはり、無理やり作りあげた感じがすることに気づきました。なるほど、柔軟で何度も聴き続けてもらえる作品、あるいは柔軟な活動を行い続けるために重要なのは、自己矛盾をさらけだすことなのではないかと閃いたわけです。もちろん、これから人の目を全く気にせずに作品をアウトプットできるかと聞かれたら無理ですが、自己矛盾をさらけだした作品のほうが気を張って一貫性をもたせようとした作品より柔軟であると気づけたことは僕にとっては非常にセンセーショナルなことでした。