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海辺の叙景

音楽の話などをします

COALTAR OF THE DEEPERS - "NO THANK YOU"

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(この原稿は大学の音楽サークルであるMusic Innの新歓配布物に寄稿したものです。)

 日本で活動している、オルタナティブロック・シューゲイザーバンド、COALTAR OF THE DEEPERS(以下COTD)の5枚目のフルアルバム。このアルバムは筆者が初めて買ったCOTDの作品であり、かつ、所謂シューゲイザーサウンドを初めて耳にした作品でもある。”シューゲイザー”とは、My Bloody Valentineを始めとするロックバンドにおけるノイジーで耽美的なサウンドスタイルを指す言葉であるが、ここでは説明を割愛させて頂く。筆者はこのアルバムを手にした日付を明確に覚えている。2011年3月10日。この日付にピンとくる方も多くいると思うが、説明しておくと、東日本大震災の前日である。

 

 購入した当時、筆者は高校1年生であった。偶然、Youtubeで聴いたCOTDの”NO THANK YOU”という曲に魅了され、CDをディスクユニオン等の中古CD屋で探すも全く見当たらず、Amazonで調べてみると幾つかアルバムが購入可能であったので、”NO THANK YOU”を収録している当アルバムを購入した。Amazonで購入すると、大概翌日には家に届くわけであるが、PC画面上で何度かクリック操作を繰り返しただけで商品が手元に届くことに未だに慣れない。このあっけなさが奇妙に思え、なかなかネット通販を利用する気になれない筆者である。無事にCDは3月10日に手元に届き、さっそくリッピングして自分のiPodに入れた。翌日学校にいくまでの通学路で歩きながら聴きたいと思っていたので、その日はほとんど聴かなかった。2011年3月11日、当日は高校1年生最後の登校日であったのだが、美術の授業で提出する作品を家に置き忘れるという失態をおかし、学校が終わった後に、作品を家まで取りに帰った。家から学校までは都営の地下鉄を30分ほど乗ったところにあり、往復するのは面倒であったが、最後の登校日ということもあり、天気もよかったせいか全く苦に感じず、ちょうど前日に届いた当アルバムをiPodで聴きながら気持ちよく歩いていた。

 

 春の心地良い風を体で感じながら聴いた当アルバムのサウンドは、まさに自分を異世界に誘うものであった。当時、ハードコアパンクに夢中になっていた筆者がこのアルバムを購入するきっかけは既に書いたとおり”NO THANK YOU”をYoutubeで聴いたことであるが、この曲はノイジーなギターと、取ってつけたようなシンセのリフが混在している曲であり、その攻撃的な側面に魅了された。しかし、いざアルバムを頭から聴いてみると、そのような攻撃性もさることながら、非常に内向的でノイジー、それでいて美しい音空間が広がる曲が多く、当時、神経質さがピークに達していた筆者は完全にその音空間に飲み込まれてしまった。アルバムをiPodで再生し、始まる1曲目”IT DAWNS BEFORE”は音像が強くぼかされたギターが蠢くイントロであり、シンプルな作りながら、曲を聴きながら浮かぶ景色が明るいものなのか、それとも暗いものなのか、その景色が永遠に遠くまで広がり続けているのか、それとも限りなく自分に近づいているのか、あるいはその両方なのか、まったくつかめないサウンドであり、アルバムの入り口としての役目を十分に果たしていた。続く2曲目”Good Morning”は軽快なテンポに、まるで幼い少年のような声でボーカルが甘く囁く日本語詞がのり、憂いと喜びが混在したノイジーなギターと、サウンド全体に深くかかっているリバーブに強く手を引かれ、高校生の筆者は完全に異世界を歩き始めていた。そこから8曲目”The systems made of greed (Don't bet our tax Version)”までテンポ良く進み、9曲目”HIBERNATE”で1度それまでのテンポを落ち着かせ、Ⅰ0曲目”The end of summer”を迎える。この”The end of summer”という曲はそれまでの曲とは打って変わり、ノイジーなギターとシンセサウンドに関しては変わらないが、ゆったりとしたテンポで進む曲であり、ある意味COTD流のバラードである。既に書いた通り、ボーカルの歌唱は非常に独特なものであり、全く歌い上げずに少年のような声で歌うスタイルであるが、このスローな曲とその歌唱法の相性は抜群である。もちろん他の曲にもあってはいるのだが、囁くような歌唱が最も良くあうのはやはりスローテンポな曲なのだ。筆者はこの曲を聴き、自分でも曲を作ってレコーディングをしたいと初めて強く思ったわけである。わかりやすいメロディがなく、全体の音空間が混沌としているものの、確かにキャッチーで切なさを感じるような音楽を作りたいと思うようになったのはこの時からだ。続く11曲目”NO THANK YOU”は始めに書いた通り、非常にアップテンポで攻撃的な曲である。誤解を恐れずに言えば、かなりノリにくいリズムの曲でもあり、各楽器それぞれが取ってつけたような演奏をしている。しかし、それでいて、ギリギリのバランスで成り立っているところが魅力的なところである。12曲目”Dreamman”は、アルバム前半にあったようなスピーディーなナンバーである。曲を通して、ずっとアコースティックギターをかき鳴らす音が聴こえ、その隙間を埋めるようにディストーションがかかったギターの音が聴こえてくる。ベースのサウンドも強烈に歪んでおり、ドラムの音像はかなり奥の方にあるため、スピーディーな曲とはいえ、いわゆる日本のギターロックとはまた大きく異なったサウンドであり新鮮である。13曲目”DEEPERS’RE SLEEPING”はまたテンポをぐっと落としたSE的な曲であり、続く14曲目”MEXICO(Ver.N)”はこれまでの音の洪水のような曲とは打って変わり、アコースティックギターとボーカルのみで構成された曲である。しかし、曲の根底に流れる雰囲気はこれまでの曲と同様であり、ノイジーな曲に混じってても違和感を感じさせない。そして15曲目”春の行人坂”は当アルバムの最終曲であるが、いままでのどの曲よりもやわらかなサウンドが聴ける曲である。一般的にアルバムの最後の曲は、いわば作品の出口の役目を果たすものであることが多いが、この曲”春の行人坂”は出口の役目どころか、また別の世界に誘うような曲であり、そのサウンドに魅了されてしまった筆者はこのアルバムに足を踏み入れて以来、この無限ループのような世界から抜け出せなくなってしまった。

 

 ちょうどこのアルバムを地下鉄の中で聴いているときに、大震災は発生した。まるで寝ているところを叩き起こされるように突如電車はとまり強い揺れが起こる。揺れが収まった後、最寄りの駅まで電車は向かい、降りたその駅で深夜まで過ごすこととなった。駅は人であふれ、どうすればいいのか判断がつかないような状況が長く続いた。とりあえず電車が動くまで待たなくてはならなかったので地下鉄のホームの床に座り込み、iPodで引き続き当アルバムを聴いていたが、途中でiPodの電池は切れてしまった。ようやく電車が動き始めて、なんとか帰宅するも、テレビに映っている映像は地獄のような光景であった。

 

 当アルバムを聴くと、そのときのイメージをこと細かく思い出すことができる。COTDのサウンドの不安定さ、そして、そんな中でも希望を見出そうとするも、絶望と常に隣り合わせなところは、当時のイメージと重なるところがある。しかし、それでいて、このアルバムを聴いても決してネガティブな気持ちになることはない。それは、筆者が震災によって直接大きな被害を受けてないからだという指摘もあるだろうが、それ以上にこのアルバムの力強さによるものだと筆者は思う。