海辺の叙景

音楽の話などをします

ピンボール

 最近、ピンボールにハマっています。偶然、学校の帰り道に「ミカド」という古いゲーム機を多く扱うゲームセンターがあり、そこで一度遊んでみたことをきっかけに、ヘヴィなプレイヤーにはなっておりませんが、ピンボールを楽しみようになりました。ここで、私のブログ等を読んでいる方は、私が過去に一度、自分が如何にゲームセンターが苦手かを語っていることを記憶されている方もおられるかと思います。改めて説明すると、私は幼少期にゲームセンターでゲームに挑戦するも、機械がうまく作動せずにあっという間にゲームオーバーになってしまい、それ以来ゲームセンターに対する不信感が強く残っていたのです。しかし、そうは言うものの、実はあのメカメカしい筐体であったり、画面の華やかさに惹かれていたのも事実でした。好きと嫌いは紙一重といいますが、私はゲームセンターを強く意識していたのでしょう。自分の周りの比較的真面目な友人達がゲームセンターで頻繁に遊んでいるという事実が、私のゲームセンターに対する不信感を和らげ、結果的に先ほど述べた好奇心がそれを上回ったのです。ミカドでは入り口のすぐ横にピンボールの台が幾つか並んでいるのですが、ピンボールマシーンのインパクトたるや物凄いです。他にもゲーム筐体はたくさんあるのですが、縦に長い上に、多くの仕掛けが施してある盤面に私は釘付けになりました。

 ここで、話は飛びますが、私の小学生の頃の友達に「きっちゃん」と呼ばれていた友達がいました。彼は、いわばクラスの人気者で、面白い遊びを考案したりと、クラスの流行を作り出せる子でした。そんな彼はゲームも得意でした。あまりゲームが得意でなかった私はもっぱら彼のプレイを見ているだけでしたが、プレイ中の彼の言動のうち、強烈に印象に残った言動が一つあります。彼は、シューティングゲームをする際、序盤でミスがあると、「人生、諦めが肝心!」と言い放ちゲームをすぐに始めからやり直すのです。今考えてみれば、ただ、使い古された言葉とナンセンスな行動を組み合わせているだけなのですが、私は強烈なインパクトを受けました。何より小学生のうちから、「人生」や「諦め」について考えられていることに当時の私は驚きました。改めて考えてみると、たとえ使い古された言葉でも、誰がどのタイミングで使うかによって言葉の意味というものは大きく変わりますし、音楽におけるサンプリングの手法にも同じことが言えるのですが、この辺の話は今回は割愛します。
 
 小学生の私は、彼の「人生、諦めが肝心!」という言葉と、すぐにゲームをリセットする姿勢に感銘を受けたわけですが、そのインパクトがあまりに強く残っていたせいか、それからずっと、私はゲーム等で遊んでいても初めの方にミスがあるとすぐに諦めてしまったり、途中でやる気がなくなってしまいました。ピンボールをやり始めたときも同様で、すぐに1つ目ボールがアウトになると、あとのプレイは荒っぽくなってしまいました。

 しかし、ある時、ピンボールの点数に伸び悩んでいた頃、もっと他に悩むべきことがあるだろうという指摘はさておき、このすぐに諦めてしまう傾向は良くないのではないかと考え始めました。試しに、強い心持ちで、初めの方に失敗しても諦めずに点数を稼ぎにいこうと気合を入れ直して、プレイしてみたら、なんと自己最高記録をマークすることができたのです。シューティングゲームピンボールとでは、ゲームの性質が大きく異なるということもありますが、やはり何事も諦めてしまったらそこで終わってしまうということに私は気付きました。似たような例として、フィギュアスケートがあります。あの競技はもちろん、失敗を全くせずに演技をやりきることがベストなのですが、人間必ず失敗します。そんな中で、高得点を取れる選手というのは、途中で失敗してもめげずに最後までやり通せる選手ですよね。さらに、もう一つ例を挙げると、私がクラシックギターを習っていた頃、ギターの先生は口癖のように「たとえ練習の時でも、ミスをしても最後までやり通せ」と言っていました。ミスをするとすぐやり直してしまうことが癖になってしまうとのことでしたが、この話もピンボールの話とつながりますね。

 話がだいぶ大きく膨らんでしまいましたが、私の言いたいことを簡潔にまとめると、「自分はピンボールを始めて、諦めないことの大切さに気づくことができた」ということです。どうでしょう、皆さん、この文章を読んでピンボールがやりたくなりましたよね。そうでもないですか。