海辺の叙景

音楽の話などをします

電車

 鉄道オタクではありませんが、僕は電車が好きです。写真を撮ったり、時刻表を調べたりするわけではなく、ただ毎日乗っているだけですが、何と無く電車というものが好きなのです。どうして好きなんだろう、と今まで考えたことはありませんでしたが、良い機会なので考えてみようと思います。

 まず、電車という乗り物は自分で操縦する乗り物ではありません。特に日本の場合、時刻と停車駅がキッチリとシステマティックに定められてます。このように、自分の意志で変えることができない所があると、なんだか切ない気持ちになることがあります。映画などで、電車の出発時間が迫っていて、人と別れなければならない、なんていうシーンはよくありますよね。

 しかし、それならバスや飛行機も同じではないかという疑問が浮かびます。電車がこれらの乗り物とどう違うのでしょうか。

 僕が思うにレールの有無だと思います。
 レールが無ければ、引き返したり、使用する道を変えたり、航路を変えることができます。しかし、レールがある電車は通る道が定まっていて、しかも一方通行であるのです。そういう柔軟さがないところが僕には魅力的にうつるのかもしれません。

 これは、僕にのみ当てはまることですが、僕にとって電車というのは独特、かつノスタルジックなものなのです。
 僕は小さい頃、車社会であるドイツの田舎で育ったので、小学生のころ日本に帰ってきて乗った電車や、電車から見える風景はとても新鮮で、かつ独特な不安感を感じさせるものでした。それから何年か経ち、電車通学によってだいぶ慣れてくると、電車がとてもノスタルジックなもののようにも感じるようになりました、しかし、それでいて不安感も残り続けました。
 一般的に、この独特で不安を感じさせる奇妙な感じと懐かしい感じは同時に起こり得るものではないのかもしれませんが、電車は僕をそのような不思議な気持ちにさせるのです。

 レールがあり、目的地があり、実は自分で操縦していない。そのようなものに身を預けることは安心感と同時に不安感も感じさせる。
このようにまとめると、電車に乗ることと僕らが生きていく上で道を選んで行くことは似ているような気がします。もちろん、生きていく上で途中下車することも、乗り換えることも、歩いて目的地に向かうこともよくありますし、そのようことは何度も起こり得ることです。しかし遠い目的地に向かうにはどこかで電車に乗らなくてはならない時がきます。そういうシステムになってしまっていると言っても良いかもしれません。

 ちなみに僕はしょっちゅう乗る電車を間違えます。

 なんだか、大げさで主観的な話になってしまいましたが、僕が電車が好きなように、皆さんも恐らく何か特別に好きなものがあると思います。そういうものを人生のエネルギーにできると、なんだか生きていて楽しくなりますよね。

ロック

 僕が今現在、使ってるエレキギターは中学生のときに親に買ってもらったものです。
 そのギターを買ってもらう少し前、中学校の企画でオーストラリアにホームステイに行くことが決まっていました。そのホームステイに行くためのお金は、母方の祖母に出してもらうことになっていました。しかし、その企画はインフルエンザの世界的な流行のためにキャンセルになってしまったのです。
 そこで僕は、親にねだることでそのホームステイに使うはずだったお金でギターを買ってもらえるのでは、と考えました。それからすこし間がありましたが、僕は無事にギターを買ってもらうことができました。僕がちゃんとした楽器を手に入れることはこれ以降無いですし、そのギターは今でも愛用しています。

 インフルエンザが僕をロックに深入りさせたといっても間違いではないでしょう。

 高校生になると学校の帰りに楽器街、御茶ノ水によく寄り道していました。もちろん、僕は自分のギターを持っていますし、これ以上良い楽器が欲しいとはあまり思いませんでしたが、ついつい楽器屋で買えもしない楽器を眺めていたりしていました。

 ある日、某楽器店で楽器を眺めてたら、その楽器を試してみる流れになりました。その店は、店員が馴れ馴れしく話しかけてくることで有名な店でしたが、僕が今使っているギターはそこで買ったものでしたし、あまりその店の店員達を悪く思っていませんでした。
 油断した僕は、買えもしない楽器を試し弾きしました。弾き終わったあと、自分はバイトをしておらず、買えるお金は全くないことを店員に正直に伝えたのです。
 すると店員は「どうしてバイトをしないんだ」と問い詰めてきました。特にバイトをしていない理由はありませんでしたが、慌てた僕は「学校の校則でバイトは禁止されている」と伝えました。

 それに対して店員は、「お前は、ロックじゃない!」と僕に言い放ったのです。
そして続けて、「一生懸命バイトしてL'Arc-en-Cielのモデルを買った女子高生と比べたら君は…」などと言い始めました。

 僕は、あまりにも唐突に「お前はロックじゃない!」と言われてしまったので動揺してしまいました。
店員はその後もゴニョゴニョ言っていましたが、僕は無視して楽器を置いて店を出ました。

 その店は僕が通っている予備校の近くにありますし、その店員も御茶ノ水でたまに見かけます。そして、今使っているギターはその店で買っていたので、毎年お正月になると店員の集合写真入りの年賀状が来ます。なかなか腹立たしいです。

 インフルエンザによって導かれ楽器屋の店員に否定される僕の「ロック」。 
ただ、落ち着いて考えてみると、自分は「ロック」な人間か否かで言ったら…明らかに「ロック」じゃない人間だと自分で思います。

 

気楽に

「頭をカラッポにして踊ろうぜ!」といったことをライブのMCで言うバンドマンの方、結構いますよね。
しかし、「頭をカラッポにしてみろ」と言われてすぐに頭をカラッポにすることはできるのでしょうか。少なくとも僕には無理です。
 簡単に頭をカラッポにできたなら、生きるのは相当ラクであったはずです。

 中学生の頃、あるバンドのライブを見に行ったときのことです。
 前からそのライブを楽しみにしており、何人かの友人と一緒に行きました。友人と談笑しながら始まるのを待ち、とうとうライブは始まりました。僕と友人を含めた観客は皆、興奮しきっておりました。
 しかし、ライブが始まって少し時間が経った頃、バンドのボーカルが、「頭をカラッポにするのだ」といった事をMCで言ってから僕は少々ナイーブになってしまいました。

「そんな、いきなり頭をカラッポにしろと言われたって…。」

 次の瞬間から、うまく頭をカラッポに出来なかった僕は、家の鍵をちゃんと閉めたか不安になってしまいました。僕は当時かなり神経症気味で、なかなか自分をうまくコントロール出来ませんでした。結局、ライブが終わるまでずっと不安な状態は続いてしまいました。
僕はこの出来事がきっかけで、外に遊びに行ったり、「ちょっと特別な時間を過ごす」ことが苦手になってしまいました。

 それから何年か経ち、僕はいろいろなイベントに参加することでリハビリを行い続け、大分苦手は克服できました。
僕にとって大切なことは、あまり意気込まないことでした。

 ライブを見に来るお客さんが皆、僕みたいな人間というわけではないとはわかっていますが、もし僕がライブのMCを行うとしたら、少々お気楽で意気込まなくてもよい様なMCがしたいですね。

 「昨日の晩ご飯はなんだったか~?それじゃあ次の曲いくぜ~!」

 と言った具合に。
 もちろん冗談です。

ただ、僕としては、ライブハウスは特別な場所であるけれど、気軽に、ふらっと遊びに行ける場所でもあるということを大切にしたいのです。

イメージ 1月29日 (他のSNSに投稿していたものです)

 数日前になんとなく思いつきで文章を書き始めましたが、これがなかなか面白いです。
恥ずかしながら、僕は普段活字を積極的に読んだりはしません。ギャグ漫画を読んでいる時ですら、セリフが多いページは読むのが億劫になるくらいです。ただ、ここ1年ほど、人と話したりする機会があまりなかったからか文章が書きたくなりました。

 「自分はこういう人間だ」と断定したくはないのですが、僕は論理よりイメージが先行してしまう人間なようです。
活字を読むのがあまり得意ではないので、これまで文章を書くことなんて考えたこともありませんでした。
しかし、ある時ふと「ちょっとした文章なら書けるかもしれない」というイメージが湧いてきたのです。実際書いてみると、かなり面白く、周りの反応はともかく新しい趣味を見つけられた気がしてなんだか気分が良いです。

 高校時代、作曲をろくにやったことがないのにCDを作ることを宣したり、ライブの企画どころかライブをしたこともあまりないのにスタジオライブを企画したりしましたが、それが僕にとって、大きな一歩になったりもしました。
 イメージが先行すると結構思い切った行動にでることが可能なのかもしれないと、今になって思います。
しかし、イメージが先行するとケガをすることも多いです、物理的なケガもあれば精神的なケガもあります。

 小学六年生の、たしか夏頃の話です。
 一般的に、人間の小学六年生というとそれなりに論理的な思考ができるようになってる頃ですよね。
少なくとも大人のオランウータン並の、或いはそれより立派な、論理的な思考力を持っているはずです。
僕は友人3人と自転車で公園まで来ていて、することもなくグダグダと過ごしていました。
そうしていると、僕は、公園に高さ1メートルはある「舞台」が会ったことを思い出しました。
そして、「僕は自転車であの舞台から大ジャンプを決めることができるかもしれない」というイメージが湧いてきました。
友人たちが止めに入るのを退け、僕は自転車を舞台の上まで運びました。

 そのあと僕の身に何があったかは言うまでもないです。精神的にも物理的にもケガを負いました。近くのベンチに座ってるおじさんにも慰められました。ショックを受けケガをした僕はすぐさま家に帰りました。

 あの日のことは忘れません。小学生の頃の思い出というとそれぐらいしか思い出せないくらい強烈な出来事でした。

 ついイメージが先行してしまうのは癖ですし治すこともできなさそうです。
これからもそんな自分の性格と付き合っていこうかと思います。

ホウ酸団子 1月28日 (他のSNSに投稿していたものです)

 バンド活動や音楽活動をする上で大切なのは「コネ」を作ることだ、なんてたまに耳にしますね。
確かにライブを自分たちだけで行うことはほぼ無理でしょう。ライブハウスや対バン、お客さんなどをしっかり確保できないとライブは成り立ちません。そこで役に立つのが、いわゆる「コネ」です。

 ただ、僕は「コネ」作りにそんなに精を出す必要なんてないんじゃないかと思います。まして、意識して行うことでもないと思います
当たり前のことですが、音楽を志す者ならまず音楽に集中しなくてはなりません。
音楽に全力で取り組み、それでも体力が有り余るときはちょっと出歩いてみて積極的に人に話しかけるくらいで十分な気がします。

(「コネ」という単語を何度も書いてるうちに「ホウ酸団子は家でコネコネ自作することができる」という最近知った事実について話さなければならないことを思い出しました、唐突ですが次の段落からホウ酸団子の話に移ります。)

 我が家は木造のボロい家なので夏場はゴキブリが結構出ます。そこで、ゴキブリを死滅させることができると謳っている市販のホウ酸団子(縦横2センチほどのケースに入ってるもの)を今まで部屋に置いていました。しかし、どうも効果があるように思えません。実際にゴキブリは減っていない気がしました。市販のホウ酸団子が本当に効果があるのか不安で眠れない日もありました。

 そんなある日さくらももこのエッセイを読んで衝撃を受けました、なんとホウ酸団子は自作することが出来るらしいのです。
あんこ(或いはきな粉)をかけて食べる団子を作る要領でホウ酸団子を作るそうなのです。

 僕は希望が湧いてきました「自作のホウ酸団子なら効果があるかもしれない」と。

 そんなわけで今年の夏は音楽に全力で取り組み、それでも体力が有り余ることがあれば「コネ」作りではなくホウ酸団子をコネようかと思っています。僕の未来は明るいです。

深爪 1月27日 (他のSNSに投稿していたものです)

 あまり他の人と比べたことはないのですが、僕はおそらく多趣味な人間です。
音楽を聴いたり、漫画や本を読んだり、スポーツ観戦したり。楽器を演奏したり、作曲したり、録音もしたりします。広いぶんどれも浅いのでいつか取捨選択する時がくる気がしますが

 多趣味で困ることといえば、人に趣味は何かと問われた時にうまく答えられないということです。特に初対面の人に短く簡潔に話さないといけないとなると、途中でしどろもどろになってしまいます。
うまく伝わらなくて誤解されるくらいなら、あまり語らないほうがいいのではないかと思い「僕の趣味は音楽です」といった具合に、シンプルに答えることにしていた時期がありました。
しかし、一度美容院で僕の髪をカットしてくれている方に趣味について聞かれたので自分は音楽が趣味だと軽く伝えてみたら、その人はそれ以降なんども僕の音楽論?について詳しく聞いてくるようになってしまいました。逆に相手に質問されるようになってしまいました。
「音楽」のように話題が豊富なものをだすと面倒だとわかりました

 そこで、趣味について聞かれたら「趣味は深爪です」と答えるようにすればどうか、と思いました。
話してる相手が深爪マニアではない限り深く問われることもなく、うまく質問を回避することができる気がします、要するに僕の勝ちです。話がだいぶごちゃごちゃしてきましたが、とりあえず今度ためしてみようと思います。

無題 1月26日 (他のSNSに投稿していたものです)

 日常生活をおくっていると、無意識にエッチなことを考えていて気づいたらモッコリしてるなんてことは僕の場合しばしばあります。授業中とかなら目立たなくて良いのですが、例えば電車内で人が座っている前に立っていたりする時だと困っちゃうわけです。そんな時は、冷静さを取り戻すために少しひやっとすることを慌てて空想します。「もし家族やペットが死んでしまったら…」「もし大学受験に失敗してしまったら…」といった具合に。しかし、最近気づいたのですがこのような空想をすると冷静さを取り戻すどころかなんだか悲しくなってしまいます、おまけに「そのようなことを、わざわざ冷静になるために空想するなんて…。」と自己嫌悪感にも襲われます。これではあんまりですね。
 とある男性の(たしか)俳優さんが「下積み時代は美術学校でヌードモデルのバイトをしていて、可愛い女の子が目の前にきたときは宇宙のことを考えていました。」とインタビューで言っており、なるほど!と思い僕も宇宙について空想してみようと思いましたがこれがなかなか難しい。宇宙と言っても常日頃から意識しているわけでもないので、うまく空想できません。僕の場合とっさに冷静さを取り戻すこと目的なので、これではダメですね。
 良いアイディアが浮かびませんね、困りました。

 なにか良い案はありますでしょうか、あったら教えてください。